夫と私は人も羨む仲良し夫婦だと自負していた。喧嘩という喧嘩もしたことがなかった。内地に居たときにも夫婦の仲が良すぎて「愛人」に良く間違えられたくらいだ。
どこに行くのも一緒だった。宮古島に移住するひと月前に車で日本一周をしたが一度も喧嘩などした覚えがない。50歳を過ぎた今でも腕を組み手をつないで歩いた。
ところがここ、宮古島に来てからは喧嘩ばかりしている。何故だろうか?
寂しさからくるのか、思い通りに行かない憤りから来るのか判らないけれど、とにかく半端じゃないほど喧嘩する回数が増えた。
前編で「変なカップル1・2」を書いたけれど自分たちだって、人から見れば「へんな夫婦」なのだろう。ただ、少しだけ彼らよりも大人で分別があるということが、人様に迷惑をかけずに今日まで過ごせたのだと思う。私の初めての家出から今回の家出まで数えると5回。でも、悲しいかな・・・どこにも逃げていく場所がない。誰も知らない、夜中に訪ねて行けるほど親しい友人も居ない。親戚も知り合いも、行きつけの居酒屋もない。
宮古島初!手作り露天風呂完成! |
結局、島中、車でぐるぐる回り深夜になって自宅に戻ってくる。格好付けに荷物を入れた重たいトランクをまた、自分で持ち車から降りる。飛行機も早割り以外で乗るのはもったいなくて、とりあえず町に出かけても、知らない店に女性一人で入る勇気もない。お酒が飲めない私は結局、喫茶店に入るしかないのだけれど宮古の深夜喫茶はほとんどがゲーム喫茶でちょっと怖い。私の家は二人で住むのには宮古島では大きいほうだと思う。喧嘩をすると1階と2階に分かれて生活をするようになり、常にベッドルームが2つ必要になった。
夢の宮古島移住は時々、悪夢の宮古島移住になる。夫は20代から会社を立ち上げて「社長」と呼ばれ、私は歌謡教室で「先生」と呼ばれ、時々、ホテルのディナーショーや年に一度の「翔・ショウ・SHOW」というリサイタルで歌い、結構自分たちの立場に満足していた。移住を決定した瞬間から「見栄」も「外聞」も「プライド」も「欲望」も捨てて宮古島に来たはずだった。
「宝石」や「洋服」「調度品」全て自ら捨ててきたはずだった。
でも、そんなに簡単に捨てられないのだと、知るのに大して時間はかからなかった。
引っ越した先の電気の傘をステンドグラスにするかしないかで喧嘩した。台所の電気を2つにするか、1つにするかで喧嘩した。クーラーを各部屋につけるか4部屋だけにするのかで喧嘩した。その度に私は家を飛び出した。夫に叱られたことがなかった私はどうしたらいいのか途方にくれた。海に行く、釣りをする、貝殻を拾う。楽しい日々は続いたが、いつしかそんなことにも飽きてしまった頃、やがて冬が訪れた。この頃になると「パワーストーン&手作り万華鏡館」のオープン準備で忙しくなり喧嘩する暇もなくなったが、落ち着いてくるとまた、小さなことで言い合うようになっていた。やがて私の精神力も弱まっていった。同様に夫も。
些細なことが積み重なり今年の1月頃から体調を崩し病院に通うようになってしまった。
食べられなくなったのだ。胃が痛く気持ちが悪い。唯一の楽しみがこの「はちゃめちゃ」の文を書くことだった。どうした訳か喧嘩はいつも週末に起こる。決まったように金曜日だった。でも、内地には帰れない。実家や子供たち、友人や仕事仲間の反対を押し切って私たちは宮古島移住を決めたのだから・・・。
電話をして友人や家族に愚痴は言えない。弱音も吐けない。夫婦のお互いの悪口など宮古島で出来た友人には絶対に言えない。それこそ、プライドが許さなかった。まして、喧嘩して家出したなんて誰にも気づかれてはいけない。しかも、くだらないことで・・・。
私たちはお互いに行き詰っていた。辛い、苦しい日々が続いた。けれど、2,3日過ぎるとまた、元通りの生活に戻る。それしか方法がないから、仲直りするしか宮古島で生きて行けないからだ。頼ることが出来るのはお互いに一人しか居ないことを知っているから・・。
先週の金曜日のこと。夜、友人の家に呼ばれ車で向かった。「ガソリンが高くなったから一日に何度も町に行くのはガソリン代がかかるね。」きっかけは私のこんな言葉からだった。夫はUターンをした。「行くのをやめよう。」これが喧嘩の原因。冷静に考えればこんなにくだらないことで喧嘩をしている。翌日の夜、リゾートホテルで夕食をとり帰りに夫に言った。「ねえ、帰りにお塩を買って帰ろう。」「塩?」「うん、塩を蒔いてみよう。」「そうだな。」
近所の勝俣商店で塩を買い家中に撒いた。家と店の四隅、外、玄関やトイレに至るまで盛り塩をした。暗い中、家の周りに酒を巻いた。次の日、塩が湿気を含み部屋中、店中べたべたになった。二人で拭き掃除をして「もう、喧嘩をしないようにお互いを大切にしよう。二人しか居ないのだから大切にし合おうな。」と、改めて誓い合ったのだった。
数日後、正兄とやっちゃんがやってきた。(二人は水道工事の仕事をしている)
「松井夫婦の離婚の危機。と神様が言っているから来たよ。」と言いながらやっちゃんは塩の袋を取り出し家の周りを清め始めた。庭の塀や店の玄関に至るまで盛り塩を置いている。
「何でわかったの?」「誰かが離婚の危機だって言われた。そしたら正兄が松井さんじゃないか?って言ったんだ。だけど俺はまさか?あんなに仲がいいじゃないか!と言ったんだけど塩を買っていくぞ。って言われてきたんだよ。」「ふーん。」「実はさー、」と、今までの本当の出来事を全て話した。「今まで恥だと思って誰にも話したことも相談したこともないのだけれど・・・。」前置きをして・・・。彼らは「神高い」二人だった。私たち夫婦も彼らのことは認めていたから自然に話すことが出来た。「この家の守り主のじいちゃんが焼きもちを焼いているんだよ。」他にもいろいろ言ったけれど、「とりあえず、じいちゃん主に酒とお茶を上げていろんな事を報告しなさい。」と言葉を結んだ。内地に居るときにはこんな会話は鼻でせせら笑って聞き流したがここまで不仲が続くと信用して従うしかない。
地元に住んでいる人だからこそのアドバイスだろう。「郷に入っては郷に従え」
(解説:自分が現在住んでいる場所の風俗・習慣には、素直に従うのがよい。それが世渡りの知恵であるということ。「里に入りて里に従う」ともいう。)
の精神でやってみようと思った。そんなことで毎日が平穏無事で過ごせるなら・・・。
古い家を借りるといろんな事がついて回る。特に宮古島の田舎の家は。
私たちは決心した。
「土地を買って家を建てよう。」
今更この年で家を建てるつもりはなかった。ゆとりある生活をするつもりで借家住まいを始めたはずだったのだが、やっぱり地元の人が言うように落ちぶれた家を借りないほうがいいと思った。
徳ちゃんの手作り庭 |
「気の持ちよう」と言う人も居るが毎回塩にまみれた家も決して棲みやすいとは言えない。
これからもきっと、私たちは寂しさと、毎日二人だけで過ごすことに慣れるまで喧嘩もするだろう。でも、霊的存在の恐れからは救われると思う。もう、嫌だ!何か在る度に霊的存在の事で恐れを抱かされるのは・・・。
新しい、ぴかぴかの家で残りの人生を過ごそう。
青い空と青い海に囲まれた楽園、宮古島移住はすばらしいけれど、移住した内地の人間に必ず襲ってくるのは、寂しさ・・・・。何十年間も培ってきた友情や付き合い、地位や名誉、楽しかった思い出を内地に置いてこなければいけない。宮古島ではそんなものは邪魔でしかない。でも、捨てきれないのだ。多くの人が数年の間に移住をあきらめて内地に戻ってしまう理由がここにあると思う。捨ててくるものが多ければ多いほど、寂しさや空しさは深く襲い掛かってくる。私たちのように何年も前から移住を計画して緻密に計算してやってきても、寂しさと退屈からくる空しさに負けてしまう。でも、これらに打ち勝っていかなければ本当の宮古島の住人になれないと思う。もし、離島移住を簡単に考えている人が居るのならもう一度考えて行動を起こして欲しい。真の友情は数ヶ月では成り立たないし、寂しく感じる日々のほうが多い。移住する前から友情を育て、住む場所をリサーチし、十分に検討して欲しい。
一年や二年で内地に泣いて戻っていかないために・・・。
それでなければ思い切ってこの文章を書いた意味がなくなってしまう。
小さな、小さなプライドだけど、それを捨てて自分たちの恥部を書いてみたのだから。
・・・これからは喧嘩などせずに、二人で仲良くスローライフを満喫していたい・・・。