宮古島ドットコムの連載企画
「宮古島はちゃめちゃ移住計画」



vol.021 7月10日
「一人ぼっち・・・台風の宮古島」


宮古島に引っ越して来てから初めて一人だけで過ごす1週間が始まった。

夫は今日、一人で内地に帰って行った。引っ越してきてから2度目の里帰りだ。

遣り残してきたことがあったからだった。

本州から宮古島に来るのは安いホテルパックが結構多くあるのだが、宮古島から本州に行く格安パックが少ないのには改めて驚いた。

・ ・・どうして?・・・宮古島の人だって内地に頻繁に旅行に行きたいよー!

もっと安ければ一緒について行けるのに・・・。ぐっと、我慢して宮古島に残ることに決定!

また、悪いことに今日から台風である。怖い!夫と二人で居ても怖いのに今回は一人で台風を過ごさなければ行けない。上野の新里に引っ越してきてから3度、台風を経験したけれど(それほど大きくない)いつも夫と二人だった。停電をすると内地のようにすぐに直らない。真っ暗な部屋で雨戸を閉め切ってメチャクチャ暑い部屋で籠もるのだ。それに我慢しきれず、平良の町に逃げて行く。開いている店に入って台風の行過ぎるのを待つのだ。けれど、今回の台風は強い上に一人で対処しなければならない。特に我が家の位置は風が強く当たる。海の近くで見晴らしはいいのだけれどこんな日は繁華街にすればよかったと後悔する。停電すると当然のことだけれどテレビも見られないし、クーラーもきかない。まだ住み慣れていない部屋は一人ではちょっと、寂しい。田舎と言っても隣近所とはあまり交流のない地域で、台風だから一緒に居させて欲しいなんて訪ねて行けるほど親しいわけではない。今夜から明日にかけて急接近なんてニュースで流れるたびに泣きたいくらい恐怖を感じる。どうしよう・・・。夫は気楽に言った。

 

「停電したら寝ろ!」

 

「真っ暗な暑い部屋で恐怖を感じながら寝られるわけがないじゃない」「懐中電灯をおいておけばいい。」「怖くなったらホテルに泊まるから。」「おう。そうしろ。」彼は東京へと飛行機に乗っていってしまった。どうなるんだろう。胃が痛くなってきた。

 


気のいい仲間と乾杯

さて、昨日のこと。久しぶりに宮古島で一番の繁華街、西里通りに行ってみた。久しぶりと言っても3ヶ月ぶり位だけれど・・・。驚いたことに店がずいぶん変わっている。古くからある、お土産屋さんは別として、今、西里通りに店を構えている人はほとんど内地の人だという。簡単にオープンして簡単につぶれていく。酷い所は夜逃げ状態だそうだ。宮古島の大家さんたちは頭を抱えている。中のものも全部置いていってしまうらしい。処分するにもお金がかかるし、家賃は滞納したままだ。最近、私達も町に空き店舗があったので借りようとした。でも、内地出身者が借りるのには宮古島人、2人の連帯保証人が必要となる。引っ越してから一年しかたっていないのに、ちょっとした知り合いや一年で出来た友人に連帯保証人など頼めるはずがない。地域の家主さんたちもだんだん厳しい条件をつけてくるようになった。それと言うのもこんな風に家賃を滞納した挙句、夜逃げのように出て行ってしまうナイチャーがあまりにも多いせいかもしれない。結局、お店をいい場所に出したくても、なかなか借りられないのが現状である。また、飲み屋、スナックもかなりの件数が軒を連ねているけれど、どこも経営困難に陥っていると言う。こんなことが最近あった。

ある、ナイチャーの知り合いから声がかかった。

「松井さん、実は私が時々行っているお店があるんだけれど、そのお店はほとんどお客様が居ないんだよ。広くて良い所なのだが場所があんまりよくなくてね。どうだろう。そこでシャンソンのコンサートなどやってみたら?

カラオケ教室も開けると思うし、そうすれば、その店も活気がつくんじゃないかと思うんだよ。もし、良かったら見に行きませんか?人が来なければどんなに広くていい店でもしょうがないから協力してあげて欲しいんだ。よかったらでいいのだけれど・・。」「そうですか。では、連れて行ってください。」

日を決めて、私達は彼に連れて行ってもらった。もう、夜も更けたというのにお客様はひとりも居なく広いフロアーに老人(思ったより若かった)が一人ぽつんと座り、大きなボリュームで演歌がかかっていた。気がつくと、延々と彼の人生の指針や宇宙の法則などの話を聞かされていた。飲み物さえ出てこない。紹介者は気を使い飲み物を夫に勧めた。奥からママが出てきて夫とその人の接客を始めたのだが、相変わらず私はその老人に人質に取られたように話の聞き手にされてしまった。知らない間に1時間以上、彼の話に付き合わされ、挙句の果てに「コンサートをやりたいのならやりなさい。でも、私達は一切、手伝えないからね。人も呼べないし、飲み物などは貴方が勝手にやってください。」「えー?私が歌うのに、飲み物まで私にやらせるんですか?」「そうです。私達は何もやらない。場所を貸してあげるだけだから、椅子やテーブルも自分達で片付けなさい。」「はー?」

「コンサートをやりたいのでしょう?さあ、いつやりますか?」「ちょっと待ってください。」「嘘なんですか?やるんですか?やらないのですか?うそですか?」私はだんだん腹だたしくなってきた。(話が違うじゃない)お店の経営がうまくいっていないから出来れば協力してあげて欲しいと言われてお店を見に来ただけなのに、いつの間にかここでコンサートやカラオケ教室をやらせて下さいって感じになってしまっていた。適当に間を見て夫と友人の居るカウンターに逃げた。その後、数回家に電話があり「嘘だったのか?」と言われ困ってしまった。

昨年のクリスマスにも、こんな感じのことがあった。

私は寂しいクリスマスを送りたくなくて「クリスマスコンサート」を数回開催した。その中に開店したばかりのスナックがあった。ダンスも出来るスペースもある。だがお客様が殆ど居なかった。宮古島には異常なほどのスナック、飲み屋がある。なかなか開店したての店は波に乗ることが難しい。そんな店を知り合いが紹介してくれた。昼間カラオケ教室をしてほしい。と言うことになり、いろいろ双方で条件を決めた。お店の人はとっても喜び、私達もきれいな店で新しいお教室を開けることを喜んだ。そのためには皆さんにこの場所を知ってもらう必要がある。と言うことで私は此の時には精力的に動いた。チケットも自分で出来る限り販売し、知り合いも私の今後の活動に役に立つならと、本当に心から協力してくれて早いうちに2日分のチケットは完売した。チケットを購入してくれた人たちは新しい店だと言うことで場所がわからない、また、カラオケ教室に予約してくれた人たちが場所と音響を知るために、友人達は年末と言うことで「松井さんがコンサートをやる場所で2次会をすることにした」など、サイドでも応援してくれた。クリスマスコンサートを開く頃にはコンサートに来る予定の人たちが殆どその店を訪れてくれていた。「場所がわかったから時間に遅れないで行くからねー。」「コンサートに行けないけどカラオケ教室には行くよ。だから、どんなお店か見に行ってきたよ。」「モヤイに使ったよ。」など、嬉しい応援がいっぱいあった。

 さて、コンサートの当日のことである。オーナーから電話がかかった。「コンサートは予定通りやって欲しいけれどカラオケ教室はやめる。」「はー?」「お客さんが増えたのでカラオケ教室はやらなくていい。電気代もかかるし・・。」まあ、他にもいろいろ言っていたような気がするが、あまりのショックで後の言葉は耳に入ってこなかった。(お客様が増えたのはどうして?)この後、2時間後にコンサートが始まる。「お父さん、こんな気持ちじゃあ、歌えないよ。」「お前はプロなんだから歌は責任持って歌え。」そう言われて2日間のクリスマスコンサートは始まった。会場には入りきれないお客様で当日のお客様は断るほどになった。クリスマスコンサートは大盛況で終えた。

「また、コンサートを時々やってくださいね。」「ええ。」口ではそう答えた。(何を言っているのだろう?意味がわからない!)彼らがコンサートのために売ってくれたチケットは10枚強。それが彼らのお客様の数だったと思う。


あの時のコンサート

それから私達は二度とその店に行かなくなった。
前出のスナックも、悪気はないのだろう。でも、私はもう、利用されたくない。

内地に居たときのような環境で歌を歌うことは出来ないのはわかっている。だから、自分をへりくだる事は出来る。

どんなステージでもシャンソンのよさを伝えていきたいと思う。でも・・・・。

いろいろな所から声も掛けていただくけれど、何だか1歩が踏み出せなくなってしまった。

彼らも始めから利用するつもりではなかったのだろうけれど・・・。

スナックやダンスフロアーでのコンサートは臆病になってしまった

 

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