宮古島ドットコムの連載企画
「宮古島はちゃめちゃ移住計画」



vol.023 7月24日
「石・縁起や」オープン!」


急遽、「石・縁起や」がオープンの運びとなった。神様がいるのだろうか?

思ってもいないことが次から次へと起こってきた。夫も私も、この流れの速さに驚いていた。自分たちの意思とは関係なく、「石・縁起や」は勝手に流れ始めていった。「いつか平良の町に店を出したいね。」と話してはいたが、こんなにあっという間にことが運ぶようになるとは思わなかった。

 夫が台風3号の最中、静岡に帰った時の事である。買い物をしようと町に出た。不動産屋が空き店舗のシャッターに「貸し店舗」という看板を張っている。

「すいません、数日後には夫が帰りますので、それまで仮押さえしていただけますか?」

「いいですよ。」そんな風に、この流れは始まった。

夫に電話をする。相談をしてみたら「俺は反対!」すぐに答えが返ってきた。「じゃあ、諦めよう。」私も簡単に諦めたのだった。

 それから数日たったある日のこと、宮古島ドットコムの社長が上野の自宅に来てくれた。

用事が済み帰りがけの会話で「下里に店を借りようと思っているのだけれど・・・。」と、何気なく話してみた。「ああ、僕にもあの店舗の件でお話がありましたよ。でも、他にもいろいろ出てくるから焦って借りなくてもいいんじゃないでしょうか?よく考えてくださいね。」社長は私たちが失敗や騙されていることをよく知っているので(不動産等)じっくりと対処するように促してくれた。不動産屋に電話をしてくれたりアドバイスをしてくれた中にヒントがあった。私は社長を送り出した後、すぐにある不動産会社に向かった。「松井さんの他に借りたい人が何人もいますので後は大家さんが誰に貸すかを決めてもらうことになります。」との返事。12日のことだった。それは最初に借りようとした店舗ではなく、考えてもいなかった場所だったの


万華鏡館から見た風景

である。

社長のアドバイスが私の決心を強くした。

でも、前にも書いたように宮古島市民の保証人がいない。「どうしよう。」私は苦肉の策で「年払いにして、保障協会にお金を払って保証人になってもらいます。」と言ったが「それでも一人は保証人が必要です。」と言われ、がっかりして帰ってきた。再び夫に話してみる。「だからまだ支店は早い。」簡単な答えだった。

しかし、流れが変わった。徳ちゃんに何気なく話してみた。「平良に店舗があるんだけれど宮古島市民の保証人がないと借りれないなんて不便だよねー。」「僕でよければ保証人になってあげるよ。」「うそー!本当にいいの?」「いいよー。松井さん達なら安心してなってあげるよ。」「ありがとう。じゃあ、早速これから話してくるよ。徳ちゃん、住所と電話番号と生年月日!」「ああ、エーとね・・・。」

(もしかしたら借りられるかも?)そう、思いながら車を走らせた。「とりあえず、申込書に記入して下さい。」言われるままに書類に記入。13日、夫が帰ってきた。14日、台風の通り過ぎた後の吹き返しの風が強い。この風で流れが変わったのだろうか?私の前にも何人も申し込みがあったはずなのに「松井さんに貸すことになりました。」不動産屋からの電話があったのは数日後だった。その頃にはもう、夫も私も「借りることになったら宮古祭りに併せてオープンしようね。」なんて、考えていた。(私の性格を熟知している夫は反対しても直観力で決めると、わかっているので一応は反対したがそれ以上はあえて反対はしなかった。)それは、前貸借人が7月22日まで借りていることも一つの要因だった。しかも、そこは私たちと交友関係のある奥さんの店だったのである。彼女はもう少し安い家賃のお店を探したという。店を見に行ったら、とても22日までに撤去できる様子ではない。当然、宮古祭りにも間に合いそうもなかった。「最悪8月になってもいいよね。」と簡単に考えていた。18日、不動産屋から電話が入る。「25日には引渡しが出来ます。」「ありがとうございます。」

私達は少しずつ準備を始めていた。まず、夫が2日間かけて看板を作った。「いいじゃん。うまいねえ。」おだてながら冷たいお茶を出す。「俺、看板屋になろうかな?」なんて調子がいい。そこへある旅行会社の役員が登場!「宮古島へのパック旅行に万華鏡体験コースを入れたいのですがいいでしょうか?」「もちろん!」(棚からぼた餅?)二人であっけに取られていると、すぐにその後「万華鏡の個展を開いてください。」と、紳士が入ってきた。「石・縁起や」の看板が出来上がった時点から流れが出来てきた?この看板はどんな波動を持っているのだろうか?その日の午後、きれいな親子連れが二人で入ってきた。無言で石を見つめている。何を話しかけてもいい返事が返ってこない。夫が耳打ちした。「お母さん、石に穴が開くぞ!何だろう?あの人たち。万華鏡かブレスを作りにきたのじゃあないのか?」「うん。わからない。」30分もいただろうか?石はみんな穴が開いてしまった。(そんなわけないじゃない!)帰ったと思ったら、30分後、今度はお母さんが一人で訪れた。天然石の本を手に持っている。「この石は何ですか?効能は?名前をもう一度・・・。」こんなに真剣に質問して来たひとは初めてだった。余程、石に興味があるのだろう。私も真剣に答えた。「これと、これと、これと、これを下さい。」「えー?」「だから・・。安くしてください。」「えー?」「・・・・。」こんな風に時間が過ぎていった。あまり、多くの言葉はないのだけれど本当に石が好きだということは伝わってきた。

交渉がうますぎる。「私は15年、接客販売しています。」(そうだろうなあ・・・。)店を平良に出すことを話してみた。彼女は言った。「23日までにオープンして下さい。それを過ぎると盆切りになってしまいます。お盆の月に商売を始めたらうまくいくものもだめになってしまいます。宮古の人だったらみんなわかってくれるはずです。不動産屋に言ってください。」「そりゃあ、大変だな。」夫が言った。「そう、すぐに電話をしてください。」「はい。」「それから、オープンする前にお酒、水、昆布、塩をあげてください。」「はい。わかりました。」「お父さん、早速不動産屋に連絡して!」「おう。」夫はすぐに電話。「わかりました。そのように業者に伝えます。」そして私たちは翌日、前賃貸者の奥さんに会いに行った。「僕たちが片付けてあげますから、22日より早くしてもらえますか?」「いいですよ。」彼女も新規オープン店の準備に追われていたので、きっと渡りに船の状態だったと思う。本当に彼女の協力がなかったらオープンの日にちは、ずれていたと思う。ありがとう。本当に心から感謝をした。さて、私と夫は、彼女の店の片付けと自分たちの店の引越し準備を同時にすることになった。不動産屋から電話が入る。「23日、24日と連休ですので引渡しはやっぱり25日になります。」「はあー?」「すいません。」「はあー?」何のことはない、何のためにがんばったのか?まあ、仕方ないと諦めたとき「内装も22日には終わります。22日の3時に引き渡せます。」との連絡。「ありがとう。」電話を切った途端、いつもの二人が久しぶりにやってきた。やっちゃんと正兄だった。「引越し、手伝うよ。」徳ちゃんも「引越し、手伝うよ。」大漁寿司の聡と博子ちゃんから電話が入った。話すと「ちょうど、何か気になって電話したんだ。その日は予定がないから店の清めと、お祝いの仕方を私がやってあげる。」という。博子ちゃんは「西原のおばあ」祈りの人だ。(なんだ?こりゃあ!)駒は全て整った!ゆっくりお茶など飲んでいる暇はない。やっちゃん達が帰った後、二人は引越しの準備を始めた。「これは万華鏡の材料だからここにおいていく。」なんて・・・。

「万華鏡を作りにきた人はいいけどブレスレットを造りに来た人に平良まで行ってもらうのはわるいよなあ?」「そうだね。じゃあ、万華鏡館に来てくれた人にはお土産券を渡そうよ。この券を持って「石・縁起や」に行くとお土産をあげるって言うのは、どうかな?」「それにしよう。」こうして、万華鏡体験の店と天然石の店を別々に経営することに決定した。


石・縁起やの看板
の出来上がり

これにより、二つとも「専門店」に昇格!(素敵!)それからの数日間(正味2日)私たちは寝る間も惜しんで準備を始めた。今日は22日、引越しの日だ。明日のオープンに間に合うのだろうか?自分たちの意思とは関係なく、周りから動かされているような気がした。というか、何か大きなものが私たちの周りにあるのかもしれないと感じた。「うーん。やっぱり真面目に生きてきたご褒美かもね。」「宮古の人は石が好きだからたくさんのお客様が来たら、対処できないかも知れないぞ。」また、始まった・・・。楽天気分の夫の言葉に「そうだ。気楽に行こう。」と、思った。「癒しの店」なんて、ぎょうぎょうしい名前はいらない。縁起のいい店であって欲しい。だから店の名前は「石・縁起や」に決定!

きっかけをくれたのは「宮古島ドットコム」・・・いつもありがとう。


Copyright(c) 2006 ShiftEngineering All Rights Reserved.
当ホームページの掲載記事、画像など、あらゆる素材の複製・配布・無断転送を禁じます。